あんパンの上に乗っている、ゴマより小さな粒を見たことがあるでしょうか。
ケシの実は直径0.5mmの、非常に小さなスパイスです。丸い未熟な実に傷つけて、にじみ出た樹液はモルヒネを含み、麻薬の原料になる品種もあります。
日本では園芸品種を除き、「あへん法」で厳しく管理されている植物です。
ケシの実とは
モクレン亜網ケシ目ケシ科の一年草です。
漢字では「芥子」と書きますが、これは本来カラシナの種を指す言葉でした。
平安時代に日本にケシが伝来したとき、「カラシナの種(芥子)のように小さい」ために、ケシの名が付けられました。
野生下のケシの原種はまだ発見されていませんが、原産地は地中海や東ヨーロッパと考えられています。
特徴
ケシの実は、よく見ると腎臓やエンドウマメのように歪んだ楕円をしています。
ケシには様々な品種があり、ケシの実も白から黒まで多彩な色があります。食用ケシはクリーム色の「象牙色」と「黒」の割合が多いです。
黒いケシの実は「ブルーポピーシード」という名で販売されています。その名のとおり、濃い藍色~灰色の深い色合いをしています。
日本で市販されている、スパイスのケシの実はすべて加熱処理され、発芽しないように加工しています。
効果・効能
ケシの実には不飽和脂肪酸が豊富に含まれ、悪玉コレステロールを下げる効果が期待できます。
栄養価に優れ、ビタミンB群を豊富に含みます。肌荒れの改善、効率よくエネルギーを作り、疲れを解消する作用があります。
100gで567kcalもあり、ゴマに並ぶ高カロリーなスパイスです。これは脂質が50~70%も含まれるため。
食物繊維も多く、100gあたり16.5gほど含みます。
利用方法と注意
ケシの実は、欧州ではお菓子の原料によく使われます。
クリスマスの時期に作られるドイツの焼き菓子「シュトレン」には、ケシの実の粉をたっぷり使って風味を上げます。(ケシの実を入れたシュトレンを、「モーンシュトレン」と呼ぶこともあります。)
真っ白い粉砂糖を一面にまぶした楕円形の甘い焼き菓子で、お包みに包まれた赤ちゃんのように見えます。
シュトレンは焼きたてより、数週間ほど経ったもののほうが味がなじみ、風味が良くなります。現地ではクリスマスの1ヶ月前ほどに作り、クリスマスまで少しづつ切って食べます。
日本でもパン店や洋菓子店で販売する店が徐々に増えています。様々なレシピが公開されているので、時間はかかりますが自宅で焼くこともできます。
料理にも使うことがあり、オーストリア発祥の丸いロールパン、カイザーロール(カイザーゼンメル)にも、たっぷりとケシの実を付けて焼いたものがあります。
日本では、まんじゅうの餡に入れたり、お菓子に乗せて飾りにすることが多いスパイスです。
ケシの実を食べても違法成分は入っていないので、たくさん食べても中毒は起こしません。
エピソード
ケシの歴史
ケシは人類の発展とともにあった植物で、紀元前5000年ごろの遺跡からケシの実が発見されたのが最古の記録です。
中東のシュメール文明には栽培法が確立し、くさび文字が刻まれた粘土板に記載されているものが発掘されました。
シュメールから古代エジプトを経由し、古代ギリシャに伝わったと考えられています。さらに古代ローマ帝国に受け継がれ、ヨーロッパ全土に広がりました。
大航海時代には世界各国に広まり、各地で大規模なアヘン栽培が行われました。
古代では薬として用いられ、現在でもモルヒネなど、鎮痛剤として広く流通しています。
日本にはいつ入ったのか
日本には室町時代に、インドから青森(津軽)に持ち込まれました。そのため、ケシのことを「ツガル」と呼ぶこともありました。
江戸時代までは医療用に少量栽培される程度で、希少な薬の原料でした。
大規模栽培が始まったのは明治に入ってからです。
暗い過去も
ケシは、人類史に暗い影を落とすこともありました。
現在でも違法栽培されたケシがアヘンやヘロインに加工され、テロリスト集団の資金源になっている地域があります。
ミャンマーやラオス、タイの国境付近には違法に栽培されたケシが大規模栽培され、「ゴールデントライアングル」などと呼ばれた地域がありました。現在は政府が機能し、代替え作物の推奨などが進み、かつてのケシ栽培は徐々に衰えています。
南米ペルーでも、かつてはケシ栽培が盛んでテロリストの資金源になっていました。当時の大統領だったフジモリ大統領はテロリスト撲滅のため、現地に伝わるマカという植物の栽培を推奨し、自ら世界中に販売しました。
日本で厳しく管理される理由
ケシは痩せた土地でも育ちやすく、簡単に栽培できます。しかし日本では「あへん法」があり、特殊な許可がなければ栽培できません。
しかし、「あへん法」ほど厳しい法律を課している国は少なく、先進国では日本くらいです。何故このような厳しい処置が取られているのでしょうか。
イギリスが植民地だったインドで、大規模なアヘン栽培を始めました。作られたアヘンを清に売りさばき、膨大な利益を得ました。
日本もこの波に乗る形で、中国東北部(満州国)でケシの大規模栽培を始めます。この売り上げで軍費を稼ぎ、中国東北部を支配していた関東軍は力を付けていきます。
やがて関東軍は中国内の戦乱や、駐留する日本人の警備などの対応などに巻き込まれていきます。そして中央政府の意向を無視して進軍するなど、スタンドプレイを始めました。
これが日中戦争の引き金になったとされています。スタンドプレイができるほどの資金力の源の一つが、アヘン栽培だったと言われています。
日本のケシ栽培は当時の世界の潮流に乗っただけという面もありますが、悪事には違いありません。この反省から戦後に「あへん法」が施工され、医療、研究の目的以外では栽培できなくなりました。
栽培には厚生労働大臣の許可が必要で、事実上ケシの商業栽培はできません。
そのため、ケシの実を採取する目的でも、ケシの栽培はできなくなりました。現在流通するケシの実は、すべて輸入品です。
ケシの実をあんぱんの上に乗せて焼く、という手法を始めたのは、銀座の木村屋総本店と言われています。
こしあんぱんと、つぶあんぱんを区別するために、こしあんぱんの上にケシの実を乗せたのが始まりです。これに倣い、現在でも多くのパン店では、こしあんぱんの上にケシの実を乗せています。
焼くと香ばしい香りが漂い、ぷちぷちした触感が楽しいスパイスです。
七味唐辛子のスパイスの一つにも、ケシの実があります。
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