ヒノキの香り成分と効果・効能。栽培方法や日本における歴史

ヒノキは最高級品の建材として有名で、清々しい薫りが長い間続きます。神社の建材として用いられ、清浄な空気をかもし出します。
神話の時代から深く関わる植物ですが、最近は花粉症の元凶として嫌われることも。ヒノキはどのような植物でしょうか。

特徴

ヒノキは風媒花で、春になると大量の花粉を飛ばして受粉を促します。その花粉が里山や都市まで飛来し、花粉症を引き起こします。
そのため現在では以前ほど重宝されず、厄介ものと考える方も珍しくありません。

一方で、天然のヒノキは大変少なく、絶滅危惧種に指定されています。これは日本では古代から建材として用いられ、成長したヒノキを伐採してしまうからです。
そのため日本で最高齢のヒノキは、木曽にある樹齢450年のものが最大とされています。
台湾では伐採された期間が短く、樹齢2,000年という巨木が残っています。

効果・効能

ヒノキの精油に含まれる「ヒノキチオール」は、タイワンヒノキや近縁種のヒバに多く含まれています。
強い抗菌効果があり、ヒノキ風呂などに使っても腐らないのはこの作用によるものです。防虫効果もあり、ヒノキの精油を垂らすと虫が寄りつかないと言われています。
優れた鎮静効果があり、いらいらした心を鎮める効果が期待できます。一方で消化促進や強壮作用もあり、体を元気にする作用もあります。
免疫アップ、PMSや月経の改善、心身の疲れを癒す効果があると言われています。

肌にも良く、炎症を鎮め傷を癒し、老化防止などの効能があると評判です。

利用方法と注意

ヒノキの精油は作用が強いため、妊娠中は使用を控えましょう。

ヒノキの薫りを楽しむのは、アロマだけではありません。防虫を兼ねて消臭材に入れて吹き付けると、大変良い薫りに包まれます。
ヒノキは森林浴の効果があり、現代人のリラックスには最適なハーブです。ヒバから抽出した精油にも、同様の効果があります。

抗菌剤としても使用できるので、トイレ掃除や風呂掃除の後に薄めた精油を撒くと効果を発揮します。

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栽培方法

意外と簡単、庭木にもできる

ヒノキは庭木にすることも可能で、比較的簡単に育ちます。大きな病気をすることはありませんが、害虫には気をつけましょう。
日本の気候によく合う植物で、福島県以南なら屋外ですくすく成長します。
ヒノキは、挿し木で育てるのが一般的です。2~3月に昨年伸びた枝先を10cmほど切り、収穫します。
切り口を斜めに切って2時間ほど水に漬け、清潔な用土に差せば完成です。
苗木は乾燥しないように、鉢ごとビニールに包んで保湿します。明るい場所で育てると、徐々に根を張り育ちます。

植え付け~育て方

植え付けは梅雨の6~7月か、11~翌3月ごろに行います。
日当たりと水はけが良い環境を好むため赤玉土の割合を多めにしましょう。鉢土の底や穴には、植え付ける前に有機肥料などを加えておきます。
鉢植えか、庭木でも植えて2年以内のヒノキは、土が乾いたらたっぷり水を与えます。庭木の場合は、2年以上経てば特に水を与えなくても育ちます。

ヒノキは針葉樹ですが、2年で落葉します。
あまり派手に剪定すると必要な葉まで落ちてしまい、枯れてしまいます。剪定するときは、必ず若葉を残すように心がけましょう。

害虫について

主な害虫はスギドクガとミノガです。
スギドクガはヒノキの頂上あたりの葉を食べる害虫で、黄緑色と茶色、白がまだらになった姿をしています。刺されても痛くはありませんが、外見だけでもインパクトがあります。
4~6月、7~8月に被害が出やすく、しかも直接食害されている現場を押さえるのが難しい害虫です。株元にフンが落ちているのを見つけるのが、効率よくスギドクガを探す方法です。

ミノガはミノムシの正式名で、数種類存在します。
子供に人気がある昆虫ですがヒノキにとっては害虫です。
春ごろから8月ごろまで葉を食べ、秋になるとミノをまとって枝からぶら下がり、越冬します。
春になると雄は成虫のミノガになり、自由に空を飛び回り雌のもとへ向かいます。
雌は成虫になっても羽がなく、ミノの中で卵を産み、一生を終えます。そのためミノを放置しておくと、どんどんミノガが増えてしまいます。
ミノは見つけ次第に駆除しましょう。

日本におけるヒノキの歴史

神話の時代から用いられ、古事記にも建材として用いられている描写があります。
現在でも現存する法隆寺は飛鳥時代に建てられた、最も古いヒノキ造りの建物です。神社仏閣には欠かせない樹木で、大黒柱には巨大なヒノキを使います。

そのため、鎌倉時代には大きなヒノキが不足してしまい、近畿から全国に求めざるを得なくなります。
特に深刻なのは東大寺で、火災で焼失するたびにヒノキの調達に奔走させられていました。
初めて建立したときは奈良県など近畿のヒノキを調達できましたが、鎌倉時代に再建しようとしたときは近所のヒノキは枯渇し、山口県(周防国や長門国)まで調達することになります。
これだけ苦労して再建したのに戦国時代に焼失し、江戸時代に再び再建したときはケヤキやスギなどの集積材にせざるを得ませんでした。
必要最低限のヒノキ建材は、宮崎県(日向国)から調達し、延べ10万人の手で奈良県まで運ばれました。

明治時代になると、ヒノキの調達問題は天皇の耳に入るまで深刻なものになりました。
この頃から計画的な植樹が始まり、木曽山の神宮備林や伊勢神宮の周辺でヒノキの栽培が始まりました。
神社仏閣の大黒柱には、樹齢200年以上経った古木が必要です。明治から始まった遠大な植樹計画は、現在も静かに進んでいます。
式年遷宮で使用されるヒノキは、この神宮備林から調達したものです。20年ごとに建て直す伊勢神宮の古材は日本全国の神社に回され、社殿などに再利用されています。
一部の小さな古材は神棚に加工され、伊勢神宮で販売されることもあります。

やがて日本は台湾を統治し、タイワンヒノキの大木に目を付けます。
台湾の山に森林鉄道を敷き、タイワンヒノキの巨木を伐採しました。これらのうち一部は神社仏閣に回され、現在でも靖国神社の神門や明治神宮の大鳥居などで見ることができます。
そのためタイワンヒノキの数はどんどん減ってしまい、1992年には保護樹に指定され伐採は禁止されました。

全国の山々を埋めるヒノキの森は、ヒノキ枯渇に苦しみ続けた日本人の渇望の結果かもしれません。

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